goodschooldays’s blog

発達障害があるために学校や日常生活で困っている子ども達を応援するための親の会です。 らっこの会 (東村山 困っている子ども達を応援する親の会)

ボランティア懇談会での学習会 2011年7月23日

東村山ボランティアセンター ボランティアグループ懇談会で「らっこの会」のメンバーがお話をさせていただく機会を頂戴しました。

学習会ということで、「発達障害というのはどんな障害か」、「らっこの会はどんな活動をしているのか」についてお話しました。


らっこKIDSの一人が元気に皆さんに挨拶をしてくれて、学習会がスタートしました。

会議室にびっしりの参加者の方々の熱気で部屋の温度が急上昇する中、
まず、発達障害がある子ども達が得意なこと、苦手なことを紹介しました。

例えば、書くことが苦手
    集中することが苦手


ハンディキャップが見えにくい子達です。
見えにくい上に、それは障害なの?という感じもするはずです。

大きい音が苦手、太陽の光が苦手、変化が苦手、集団が苦手、じっとしているのが苦手、
挙げればきりがないくらい、とにかく千差万別の苦手を持った子達です。

彼らの多くは、認知の仕方に偏りがあることから、日常生活や学校生活に様々な困難を抱えることになってしまい、その結果、問題行動と言われる行動をとってしまったり、その場にそぐわない行動をとってしまったり、登校を拒否したり、孤立したり、学習が困難になったり、自信が持てなかったり、その結果、自己肯定感とか自己有用感というような感覚が得にくくなってしまった子達と捉えても良いかもしれません。


彼らは「困った子達」に見えます。
でも、本当にそうなのでしょうか。
もしかしたら、彼らは「困っている子達」かもしれないです。


「見えない障害」と呼ばれる発達障害は、一番身近な保護者にもなかなか理解しにくいものです。けれども、周りの人たちが、彼らの認知の偏りを理解することから始めて、声のかけ方やかかわり方を工夫することで、彼らが生きやすくなるだけでなく、周りの人たちも彼らとの付き合いから生じるストレスを軽減出来たり、よりよい関係を作れるようになります。


「見えない障害」を見ようとする方々が増えると、彼らは生きやすくなります。
そして彼らにも居場所が出来ます。


「配慮」は「特別扱い」や「甘やかし」として敬遠されるべきものではありません。眼鏡や車いすのように、必要な「見えない補助具」です。


「配慮」は見えにくいし、選ぶのも難しいのですが、彼らにとって、そして周りのみんなにとって大事な、そして有効な「補助具」になります。


読み書きがうまく出来ないとか、相手の感情が読み取りにくい、相手の感情に共感しにくい、場の雰囲気がよめない、そんな障害があることをまだ知らない方々も多いかもしれません。

当事者の保護者として、そういう子どもと毎日接し、いろいろ勉強した上でも、「こんな障害ってあり?」という、やり場のないような思いがなかなかぬぐえないものです。

発達障害の一つの捉え方として、彼らにあるのは「障害」ではなく「発達の凸凹、偏りである」というのは良いとして、ただ、実際、日常生活や学校生活が困難を極める場合、保護者が「我が子には『障害』があるので『配慮』をお願いします」という意思表示をしないと、行き場がなくなるような状況があるのも事実です。


意思表示をしなくても、行動の背景にある発達の偏りをお互いある程度当たり前のことと捉え、さりげなく配慮しあえる時代が来るでしょうか?駅や施設のバリアフリー化が急速に進んでいるように、人々の心の中のバリアがなくなる日が来るでしょうか?


そんな日が来るようにとの願いを込めて3人の保護者がお話しましたが、参加者の皆さんはどんな感想をお持ちになったでしょうか。参加者の中には、発達障害ではないけれど、やはり見えにくいハンディキャップのある方々もいらっしゃったはずです。感想をお聞きできなかったのが残念ですが、またこのような機会を頂けたら、今度は懇談の形で、いろいろな立場の方々とお話出来たらと思っています。


暑い部屋で熱心に耳を傾けてくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。中には手話通訳の方を通じて私達の話をお聞きくださった方もいらっしゃいました。


思いがけずこのような機会を設けてくださった、懇談会の中心メンバーの皆様、そして、機材のセッティングなどお力添えくださいました社会福祉協議会の皆様にもお礼申し上げます。ありがとうございました。